社長のはなし

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事件は1858年夏に起こりました。

 

当時のロンドン人口はすでに400万人を超えています。 

 

水栓トイレが急激に増加していましたが

汚水は浄化されずにそのまま道路の排水溝からテムズ川へ流されていました。

 

屠畜場を含む産業排水などが流されたテムズ川は川そのものが下水道になっていました。

 

その夏は気温36度と異常に暑い日が続き、全然雨が降りませんでした。

 

テムズ川へ流された汚物や生活排水は水量不足で川下に流れず、

満潮時にはなんと動物の死骸などと一緒に川上に戻ってきたのでした。

 

 

 

 

と同時に大変な悪臭が街を襲い始めます。

 

その“大悪臭”(The Great Stink)のためイギリス議会は

議員がハンカチで鼻を押さえて議場をオックスフォードへ移すことを真剣に議論しました。

 

同時にロンドン市の行政を動かし本格的な下水道建設が決まったのです。

あまりの臭いにこの建設に反対する人はいませんでした。

 

 

 

1863年に全長1700kmの下水道が完成しました。

 

現在でも使用されているレンガ造りの下水道ですが、

今度はこの下水道を住処(すみか)とする大量のネズミが発生したのです。

そしてそのネズミは市民の台所を襲い始めました。

 

 

当時、市民は主食であるパンを木箱に入れていました。

 

が頭の良いネズミは木箱の蓋を開けてパンを食べていました。

 

なんとかパンをネズミから守ろうとしてできたのが“ほうろう製のブレッドビン”です。

 

これはほうろう引きされた鉄製のため、ふたが重く、保管されたパンをネズミから守ったのでした。

 

Burleigh

プラムキャリコの残念なお知らせです。

大変お待たせしておりましたBurleighプラムキャリコですが、
バーレイの製造上の理由により、弊社ショッピングサイト・ANTROでの販売を
中止せざるを得ない状況となりました。

お知らせが遅くなってしまったこと、深くお詫び申し上げます。

楽しみにしてくださっていたお客様がたくさんいらしたのですが、
大変残念な結果となってしまい
私たちスタッフも、とてもがっかりしています。

ですが、「三越日本橋英国展2019」および「うめだ阪急英国フェア2019」では、
数量限定で販売いたします。
 

現在入荷済みの、プレートSML、ティーポットSLにつきましては、
8月いっぱいをもちましてアントロでも販売終了とさせていただきます。

8月いっぱい販売中の商品はこちらです。

プラムキャリコティーポット
ティーポットS
プラムキャリコティーポット
ティーポットL
プラムキャリコプレート
プレートS
プラムキャリコプレート
プレートM
プラムキャリコプレート
プレートL

こちらも、製造中止となっていますので、今後生産はないと思われます。

ご希望の方はぜひ!
お買い求めくださいませ。

なお、プラムアジアティックフェザンツ 、プラムフェリシティは
今まで通り生産を続けておりますので
こちらもご検討いただけましたら幸いです。

今後とも当店をよろしくお願いいたします!

社長のはなし

社長のはなし 19世紀イギリスのトイレ事情

岩谷好和です。

 

前回から汚い話ばかりでスイマセン。



ロンドンの下水道工事が始まったのは1855年です。

前年に日本ではペリー提督率いる軍艦7隻が浦賀にやってきて江戸はてんやわんやの
頃でした。



それまでのロンドンの家庭にはトイレはありませんでした。

各家庭には Chamber Pot、通称 ポティーと呼ばれた“おまる”がベッドの下にあ
り、それに用を足していました。

 



労働者階級はほうろう製、上流階級はウェッジウッドやロイヤルドルトンなどの陶器
製でした。








住宅の前の道には幅4メートルほどの下水溝が流れており、おまるが汚物で一杯にな
るとその下水溝に捨てていました。

なんとその水路は道の真ん中を流れています。問題は多くの市民はそこまで汚物を運
ぶのが面倒で、窓から下の道路に

投げ捨てていたことです。



道路上に汚物があふれていたため、窓の下を歩く人がそれを踏まないようにハイヒー
ルを発明したとか、つばの広い帽子を

かぶったという笑えない話があります。



幕末に日本を訪問した欧米人が江戸の町を歩いて驚いたのは町が極めて清潔で汚物が
道にないことでした。文明開化前の

日本は自分たちの国より汚いと思っていたのです。



ヨーロッパでは家畜の糞を農業肥料として利用していましたが、人糞はただのゴミと
して排水溝や川へ廃棄されていました。



家畜の少ない日本では人糞を肥料として農業生産力を高めたため、人糞は換金価値の
ある貴重なものだったのです。

“汲み取り式便所”は1950年代に至るまで利用する“資源循環再生型社会” が
できていたのです。