今回は1850年頃のロンドンのお話をしましょう。

1850年のロンドンの人口は232万人で世界最大の都市でした。
(ちなみに当時の江戸は78万人で世界で6番目、ペリーの黒船来航、徳川幕府の大政奉還をまじかに控える近代日本幕開け前、革命前夜の時代でした。)

ロンドンの人口は1884年に500万人を突破し、1895年に600万人、1907年には700万人を超えます。

1925年にアメリカのニューヨークに抜かれるまで世界一の人口でした。

この人口の急激な伸びは18世紀後半から起こる産業革命による工業化、
鉄道網を介してイギリス全土からロンドンへ仕事を求めて人口が流入したのが原因でした。

1850年当時のロンドンはまだ小さく、各家庭は毎日のごみを庭で燃やしていました。

燃えないゴミは市民が勝手に作った“公共のごみ捨て場”へ捨てていました。

燃えないごみとはガラスの薬瓶やジンジャービール瓶、
高級なクリームポット、歯磨き粉用ポットなど、ほとんどがガラスか陶器製です。
まだプラスチックはなかったのです。

 

このような燃えないゴミ用に作った“公共のごみ捨て場”は
当然自分の家から近いところにありました。

ところがロンドンの人口が増えるに従い、
町は外側に大きくなっていきます。

少し前のごみ捨て場はいつの間にか繁華街になってしまいます。
そして年を追うごとにロンドン市民の住宅と一緒に“公共のごみ捨て場”は
ロンドンの真ん中から郊外へと移っていったのです。

また同じロンドン市内でも”ウエストエンド“のような
高級住宅街と労働者階級が住んでいた”イーストエンド“では
燃えないゴミの種類も違ったことは想像ができます。

これは何を意味するかと言えば
ロンドン市内により近い“昔のごみ捨て場”には
より古いガラスや陶器のアンティークが見つかるということです。

ロンドンの歴史を調べれば大体その“公共ゴミ捨て場”には
何年ごろのアンティークが埋まっているかが分かります。
それを求めて多くのアンティークディーラーは今でも深い穴を掘っているわけです。

一つの穴を掘ってもほとんどが割れていたり、欠けていたりで
アンティークとして完全なものはあまりありません。

当時の市民や召使は燃えないゴミをゴミ捨て場に投げて捨てたものですから
割れてないものを探すのは至難の業でしょう。

泥だらけの昔の燃えないゴミをきれいにして売っているアンティークディーラーの
苦労を知ると少々高くても仕方がないなと思うわけです。

 

驚くことに1880年代にロンドンでは
市政府による家庭ごみの収集が週1回はじまっています。

石炭を使用した家庭のゴミ焼却はロンドンの空気を汚していったためです。

霧のロンドンは正確にはスモッグのロンドンでした。

↑佐倉マナーハウス