社長のはなし

No.13 NHK朝ドラとビンテージトリオの関係

私のブログはコロナの最中にNHK番組“せかほし”第2回目の制作でイギリスへ行って以来になります。良い意味でも悪い意味でも大変な経験でした。

NHKは常に視聴率を気にして番組を制作します。初回の“せかほし”は視聴率5%でした。
私はそれを聞いた時に“あんなに時間を掛けて制作した番組がたったの5%なのか” とがっかりしたことを覚えています。
ところがこの5%とはなんと600万人が見ていると聞いてびっくりしました。
私が毎朝見ているNHKの朝ドラは16%以上の視聴率です。計算上は2000万人以上の人が毎朝見ていることになります。
ちなみに朝ドラの歴代最高の視聴率は1983年放映の“おしん”で最高 62.9% を記録しています。当時ほとんどの日本人が見ていたと言っていい視聴率です。

朝ドラは半年ごとに前期はNHK東京放送局、後期はNHK大阪放送局が制作していますが、今放映中の“ブギウギ”は大阪放送局によるものです。私はNHK大阪制作の朝ドラの方が面白いと思います。過去の“まんぷく”や“マッサン”もNHK大阪によるものでした。
ブギウギは大正の終わり、昭和初期から戦前と戦中を舞台にしています。
主人公のすず子が喫茶店でお茶を飲むシーンがたびたびありました。その際に使用されているのは、ブーツ社のリアルオールドウイロー(Booths – Real Old Willow)の食器です。

Booths Real Old Willow
Booths Real Old Willow
Booths Real Old Willow

ブーツ家は1850年代にスタッフォード州タンズトールで陶器工場を開き、代々続いた長い歴史を持つ名門陶器メーカーでした。当時多くの陶器工場がブルーウイロー柄を製造していましたが、その中でも最も知られたのがこのREAL OLD WILLOW, まさに
これこそが本物のウイロー柄と言えるものでした。
Real Old Willowは1906年から製造されていますが、イギリスで今見掛けるのはほとんどが
1944年から1981年に製造されたものです。

“ブギウギ”ですず子が使うReal Old Willow は当社が販売する1950年代以降のものではなく、1921年から1944年まで製造されたものとカップのハンドル形状で判断ができます。
時代考証が正確なNHKはそこまで理解をしてこの食器を選んだのでしょう。
戦前、戦中の場面に戦後の食器は使用ができないのです。 

社長のはなし

No.12 最新イギリス事情(その2)

 

2021年6月のコロナ禍に、ヒースロー空港での10日間と、帰国後東京での6日間のホテル隔離を覚悟してイギリス出張へ出かけたのは、
アンティークの仕入れだけのためではありませんでした。

ブログNo.10でお話したNHK番組“せかほし”の取材と放映の後、再度NHKから声が掛かり2回目の番組制作を頼まれたのです。
同じバイヤーが2度番組に出ることはこれまでなかったのですが、NHKもコロナ禍で海外の番組制作に苦労をしているようです。日本から取材クルーを派遣できないからです。
そのため今回は、NHKのロンドンスタッフが東京からの遠隔指示を受ける形での番組制作となりました。

今回の番組テーマは世界各国の”ブルーの世界“というもので、イギリスでは19世紀のブルー&ホワイトの陶器の中で“フローブルー”に焦点を絞ったものになりました。
フローブルーについて説明をすると長くなりますので止めておきます。

6月のイギリス出張の内容とイギリス事情はブログNo.9でお話をしました。

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2021年10月以降はコロナ問題もかなり沈静化して、日本出国時にはワクチン接種証明があればPCR検査なしで搭乗ができました。
またヒースロー空港では到着後、空港内でPCR検査を受けるだけでホテル隔離はありませんでした。
11月末にイギリスへ向かい、3週間のスケジュールで仕入を開始しました。




ところが12月になり状況が急変しました。オミクロン株の感染者がイギリスで急に増えてきたのです。

12月になるとイギリスはすっかりクリスマスムードで、レストランやパブは家族や友人を集めてのクリスマスパーティーで一杯になります。

イギリスでは1日に8万人の感染者が出ていて、その80%がオミクロン株と言われていますが、
その理由はイギリス人に日本人のようにマスクをする習慣がないことだと思います。
レストランで食事をしていた客たちでマスクをしていたのは、日本人の私一人だけでした。

 

6月に比べてアンティークフェアーは賑やかでしたが、まだ海外からのバイヤーはあまり来ていません。
イギリス人だけでは各地のフェアーは十分な売り上げが期待できないため、販売するディーラーの数も多くはありませんでした。

 

過去2年間のコロナ禍でイギリスの物価は上がっています。
今年は年間で5.10%のインフレで、これは過去10年間で最大のインフレ率です。
そのためかアンティーク価格も6月に比べてさらに値上がりをしていました。

それでも次回いつ行けるか分からないので、高くても良いものは購入することにしました。

オミクロン株感染者の増加で、ヒースロー空港での再度のPCR検査後の搭乗と、
帰国後の6日間のホテル隔離となってしまい、このブログは隔離先のホテルで書いています。

2022年は検査や隔離なしで自由にイギリスへ行けるようになるのを期待しています。

社長のはなし

No.11 1912年4月15日



(タイタニック沈没とダウントンアビー ドラマの始まり)

このブログでは世紀の海難事故であるタイタニック号沈没と
人気ドラマである“ダウントンアビー” の関連性と背景を多少アカデミックに説明したいと思います。

イギリス好きの皆さんはきっと私と同じでイギリスのドラマ ”ダウントンアビー“ をご覧になっているでしょう。

上流階級であるロバートとコーラ伯爵夫妻や3人の娘たちが使用する家具や食器よりも、
私は昔からイギリスの労働者階級、召使いが使用する食器や雑貨の方が好きでした。
家事使用人が着る服や使う台所用品などを見るのが好きです。

特にブルー&ホワイトの陶器は当社が扱うバーレイ社のメインの商品で、
今でも1900−1920年の陶器をアンティーク市場で集めています。

バーレイ社陶器は当時から家事使用人が台所で使用する普段使いの食器でした。
ダウントンアビーのような“カントリーハウス”のキッチンは地下にあります。
そのため地下で働き寝起きをする家事使用人、召使いは “Below Stairs” (階下) と呼ばれ、
地上で生活する雇い主は “Up Stairs” (階上)と呼ばれました。
バーレイ社の食器はまさに“Below Stairs”のための食器でした。




先日TVの再放送で”タイタニック“が放映されました。
タイタニック号は1912年4月10日に イギリスのサザンプトン港から処女航海に出て

4月15日未明に沈没しました。
”ダウントンアビー“の第一話はそのタイタニックが沈んだというニュースから始まっています。
そうです。この二つの”ドラマ“はその意味で繋がっているのです。

1912年当時、英国では“限嗣相続”(げんしそうぞく)という相続形態がありました。
それは財産の分散による損失を防ぐ目的で一人の男にしか相続を認めないというものでした。

ダウントンアビーの当主であるグランサム伯爵ことロバートクローリーには3人の娘がいます。
その相続形態のため、長女メアリーにはいとこのジェームスの息子であるパトリックと

結婚することを決めていました。
ところがこの二人はタイタニックの処女航海に乗り合わせていたのです。そして船と運命を共にしました。
つまりタイタニック号の沈没とドラマである“ダウントンアビー”は全く同じ時代背景をもつもので

繋がっているのです。

タイタニック号には1320人の乗客と884人の乗組員が乗っていました。

そして1502人の
犠牲者が出たのです。

1等、2等、3等の間は完全な隔離がされており、船上で3等のジャックが1等船客であるローズと出会い、
恋に落ちることはあり得ません。

当時、ジャックのような若い男性が家族や友人を捨てて、アメリカへ移民したのは少なくとも
母国のイギリスでは仕事がない、将来がない者ばかりでした。
イギリスの4つの階級のボトムにいる労働者は、異国の地で,また階級のない新世界で一旗上げることを

夢見て乗船したのでした。



1912年当時の労働者、家事使用人の月給は約1ポンドでした。
そしてタイタニック号のニューヨークへの3等片道切符は3ポンドです。
多くの3等船客は親や親せきから借金をしてそのチケットを手に入れたのです。

3等船客は船上で3食を食べることができ、特にいままでろくに食べたことがなかった朝食にソーセージや
ベーコンをいくらでも食べることができ、大変喜んだという記録が残っています。

タイタニック号に一人だけ日本人が乗船していたというのはあまり知られていません。
細野正文(まさぶみ)は新潟県出身で一橋大学を出て日本帝国鉄道院の社員でした。

一年間のロシア留学を終えて、イギリスからの帰路、ついでにアメリカを見ておこうとタイタニック号に

乗船したのでした。
2等船室の乗客でした。そして彼は生き延びました。その上救命ボートで海に浮かんでいる人を助けています。
(ちなみにイエローマジックオーケストラの細野晴臣は彼のひ孫にあたります。)




タイタニック号がまさに沈没する時に、数少ない救命ボートには“女と子供が先だ”と
叫ぶ様子が映画でも見られました。
驚くことに3等船客の女性の多くは助かり、代わりに1等船客の男性の多くは亡くなっています。

パニックの中でイギリスは紳士の国であることをこの事実は証明しています。