社長のはなし

社長のはなし 19世紀イギリスのトイレ事情

前回から汚い話ばかりでスイマセン。



ロンドンの下水道工事が始まったのは1855年です。

前年に日本ではペリー提督率いる軍艦7隻が浦賀にやってきて江戸はてんやわんやの
頃でした。



それまでのロンドンの家庭にはトイレはありませんでした。

各家庭には Chamber Pot、通称 ポティーと呼ばれた“おまる”がベッドの下にあ
り、それに用を足していました。

 



労働者階級はほうろう製、上流階級はウェッジウッドやロイヤルドルトンなどの陶器
製でした。








住宅の前の道には幅4メートルほどの下水溝が流れており、おまるが汚物で一杯にな
るとその下水溝に捨てていました。

なんとその水路は道の真ん中を流れています。問題は多くの市民はそこまで汚物を運
ぶのが面倒で、窓から下の道路に

投げ捨てていたことです。



道路上に汚物があふれていたため、窓の下を歩く人がそれを踏まないようにハイヒー
ルを発明したとか、つばの広い帽子を

かぶったという笑えない話があります。



幕末に日本を訪問した欧米人が江戸の町を歩いて驚いたのは町が極めて清潔で汚物が
道にないことでした。文明開化前の

日本は自分たちの国より汚いと思っていたのです。



ヨーロッパでは家畜の糞を農業肥料として利用していましたが、人糞はただのゴミと
して排水溝や川へ廃棄されていました。



家畜の少ない日本では人糞を肥料として農業生産力を高めたため、人糞は換金価値の
ある貴重なものだったのです。

“汲み取り式便所”は1950年代に至るまで利用する“資源循環再生型社会” が
できていたのです。
 

社長のはなし

社長のはなし ゴミ捨て場からアンティーク

今回は1850年頃のロンドンのお話をしましょう。

1850年のロンドンの人口は232万人で世界最大の都市でした。
(ちなみに当時の江戸は78万人で世界で6番目、ペリーの黒船来航、徳川幕府の大政奉還をまじかに控える近代日本幕開け前、革命前夜の時代でした。)

ロンドンの人口は1884年に500万人を突破し、1895年に600万人、1907年には700万人を超えます。

1925年にアメリカのニューヨークに抜かれるまで世界一の人口でした。

この人口の急激な伸びは18世紀後半から起こる産業革命による工業化、
鉄道網を介してイギリス全土からロンドンへ仕事を求めて人口が流入したのが原因でした。

1850年当時のロンドンはまだ小さく、各家庭は毎日のごみを庭で燃やしていました。

燃えないゴミは市民が勝手に作った“公共のごみ捨て場”へ捨てていました。

燃えないごみとはガラスの薬瓶やジンジャービール瓶、
高級なクリームポット、歯磨き粉用ポットなど、ほとんどがガラスか陶器製です。
まだプラスチックはなかったのです。

 

このような燃えないゴミ用に作った“公共のごみ捨て場”は
当然自分の家から近いところにありました。

ところがロンドンの人口が増えるに従い、
町は外側に大きくなっていきます。

少し前のごみ捨て場はいつの間にか繁華街になってしまいます。
そして年を追うごとにロンドン市民の住宅と一緒に“公共のごみ捨て場”は
ロンドンの真ん中から郊外へと移っていったのです。

また同じロンドン市内でも”ウエストエンド“のような
高級住宅街と労働者階級が住んでいた”イーストエンド“では
燃えないゴミの種類も違ったことは想像ができます。

これは何を意味するかと言えば
ロンドン市内により近い“昔のごみ捨て場”には
より古いガラスや陶器のアンティークが見つかるということです。

ロンドンの歴史を調べれば大体その“公共ゴミ捨て場”には
何年ごろのアンティークが埋まっているかが分かります。
それを求めて多くのアンティークディーラーは今でも深い穴を掘っているわけです。

一つの穴を掘ってもほとんどが割れていたり、欠けていたりで
アンティークとして完全なものはあまりありません。

当時の市民や召使は燃えないゴミをゴミ捨て場に投げて捨てたものですから
割れてないものを探すのは至難の業でしょう。

泥だらけの昔の燃えないゴミをきれいにして売っているアンティークディーラーの
苦労を知ると少々高くても仕方がないなと思うわけです。

 

驚くことに1880年代にロンドンでは
市政府による家庭ごみの収集が週1回はじまっています。

石炭を使用した家庭のゴミ焼却はロンドンの空気を汚していったためです。

霧のロンドンは正確にはスモッグのロンドンでした。

↑佐倉マナーハウス

社長のはなし

社長のはなし◆‘馭冒イら生まれたマーマレード。

 

どうも!

タスマンインターナショナルの社長、岩谷好和です。

 

時は18世紀初めです。

スペインの貨物船が嵐で航行不能になり、
英国スコットランド東部の小さな港町、
Dundeeの沖合で座礁しました。

この船には大量のセヴィルオレンジが積まれていました。

母親( Janet Keiller)が町で食料品店を営む一人息子のJamesは
船内で腐り始めたこのセヴィルオレンジを
格安で仕入れて一攫千金を狙ったのです。

Jamesはこのオレンジが薬品製造や化粧品用として
スペインから輸入されていたもので
食べられるものではないことを知りませんでした。

母親の Janetはすぐにこのオレンジは食べられないと気が付きましたが
すでに大量の腐りかけたセヴィルオレンジは浜に揚がっています。

これは何とかするしかないと考えたJanetは
すぐにその苦いオ レンジを大きな鍋に入れて砂糖と一緒に煮たのでした。

これがイギリスでマーマレードができた始まりと言われています。

キーラー家の台所 で作られたマーマレードが世界で初めての
マーマレード工場で製造が始まったのは1797年でした。

Jamesはこのマーマレードを陶器の瓶に入れて販売を始め
大きな成功をおさめます。

彼は “James Keiller & Sons ”という会社を設立して
母親が始めたオレンジマーマレードを英国中で販売したのでした。

 

マーマレードの語源はいろいろな説がありますが
この時にJanetが浜に揚がったオレ ンジを家まで運ぶ息子を叫んだ
”メアー マラード”(メアー、私の息子よ!)が語源だと
スコットランドではユウリョクなのです。