社長のはなし

社長の話А,風呂に入らないイギリス人


 

私は17歳の時からパンツをはいて寝たことがない。


それは3軒目のホームステイ先で日本を離れて8か月が経っていたころだった。その家は大きな川を見下ろす丘の上に


建ったコンクリートの要塞のような家だった。窓からは大砲は出ていなかった。



 

西洋人は夜お風呂に入らない。その代わり朝起きてシャワーを浴びる。


そのホームステイの家は3つのバスタブ付きのバスルームがあったが家族全員、お風呂に入らずに朝シャワーを


浴びていた。これはそれまでのホームステイ先でも同じだったので私の慣れた生活パターンとなっていた。


 

その家族には3人の子供がいたが大きな家には子供部屋は3つしかなく、私は末っ子のアンドルーと部屋を共にすることに


なった。5歳のアンドルーはとてもわんぱくだったが、私より英語がうまかった。


 

ある夜にそろそろ寝ようとズボンを脱いでパジャマを着たのだが、突然アンドルーが私のお尻に後ろからハサミを


さすのである。私は驚いて “アンドルー、ヤメテクレ“ と止めるのだが止めようとしない。”ナンデナンダ?“と


聞くと彼は “パンツをはいている” と言うのである。


その夜に西洋人の男性はパンツをはかずに寝ていることを初めて知ることになった。(女性には聞いたことがないので


分からない)つまりその日に着た服を全部脱いでパジャマを着て寝るのである。これは書物には書いていないのである。


 

全ての家にはバスタブがあるが、使用せずにシャワーを使うのは一体どういうわけかを聞いたことがある。


一緒に仕事をする45歳のダニエルに “風呂に入ったことはあるか?” と聞いたところ“子供のころ2回ある。”と言っていた。


 

西洋人のお風呂というのは、子供が土曜日の朝のサッカーの試合で足を痛めた時に熱い風呂に入ってマッサージをするため。


そして旦那が出張で留守の夜、女房がバスタブの3つの角にろうそくを立て、最後のコーナーには“アロマキャンドル”を


置く。そのキャンドルにはこう書いてある。“ラベンダー&ベルガモット”(心の疲れを癒したいあなたへ)


ほとんどの場合は冷たく冷えたシャンペンを持ち込み優雅な“一人の夜”を楽しむ場所なのである。


 

シャワーを浴びるときに気が付いたのは西洋人は体を洗うのにタオルを使用しない。日本人のようにタオルでゴシゴシしない


のである。片手にせっけんを持って体中を泡だらけにしてそれを洗い落とすだけで終わるためあまり時間が掛からない。


これも書物には書いていない。


 

9世紀の英国では中産階級の家でもお風呂はなかった。また日本のように銭湯もなかった。お風呂の語源になったBath


にローマ人が作った温泉風呂は王侯貴族のための温泉療養所であり庶民の公衆浴場ではなかったのである。


 

寝室には大きなジャグとベイスン(たらい)があり、寝る前にジャグの水をたらいに入れて顔を洗い体を拭いていたのである。中産階級はほうろう製、上流階級は高級な陶器製であった。また各家庭には大きな楕円形のたらいがありそれにお湯を入れて体を洗っていた。


 

産業革命後の急激な人口増加とペストなどの疫病の流行で政府は公衆浴場建設の必要性を認め1845年には一般向けの公衆浴場を 開き、1915年には全国50万か所で庶民がお風呂に入れるようになった。


江戸ではまだ徳川幕府ができる前の1591年には公衆浴場ができている。江戸時代はそこら中銭湯があって庶民の憩いの場を

提供していた。どうも日本人は英国人よりはお風呂が好きだったようだ。


社長のはなし

社長のはなし 英国アンティークの源流-ハウスクリアランス

4月、庭の緑が濃くなり木々の間からもれる光がまぶしくなる朝に88歳のジョージは

静かに息を引き取りました。6か月前に医者からすい臓がんで “余命は6か月” と宣告されていましたが

その通りになったのです。医学は進歩したものです。

 

60年前に同じ高校の教師であった3歳年下のステラと結婚して教師をしながら2人の子供を

育ててきました。ステラはジョージの後を追うように3か月後に脳梗塞で神に召されたのです。

 

二人の住む家は曽祖父が160年前に建てたもので小さいがダブルブリックスの厚い壁でできた

しっかりした造りです。曽祖父、祖父が使ってきた家具や調度品は家の一部となっています。

若いころから古いものを大事に使ってきたジョージとステラの家にあるものはその全てがアンティークです。

 

定年後に好きなアンティークを町の公民館で販売を始めたのは自然な流れでした。毎月1回小さなテーブルに

のるだけのアンティーク小物を家から運び、仲間と楽しいひと時を過ごすのが老後の楽しみでした。

 

母親ステラの葬式を終えた息子のジョンと娘のメアリーはこの古い家の中に埋まった家具や調度品をどうするかを

話し合いました。離婚調停専門弁護士のジョンはロンドン市内のモダンなコンドミニアムに住み、倒産した会社の

更生を専門にする会計士のメアリーは郊外の大きな家に住んでいます。それぞれの家には山ほどの家具と調度品があります。

問題なのは二人ともアンティークに全く興味がないことでした。

 

冬は寒く夏は暑い160年前の古い家に興味の無い二人はその家を売却処分することにしました。が家として売却する

ためには中を空っぽにする必要があるのです。二人は家にあるものすべてを処分するために町にある“ハウスクリアランス

会社“を呼びました。なんの価値もないと思っていた家具や調度品は二人が驚くほどの金額となったのです。

 

二人は思い出となる両親の何枚かの写真以外はすべてをその業者に託しました。彼らには1860年のオーク製バーレイツイストテーブルも1880年のウォールナット製ガラスキャビネットは何の価値も持っていないのでした。

 

“ビジネス”を得た業者は家の中から文字通りすべてを箱に詰めて大きなバンで運び出しました。慣れたもので台所の

お鍋やフライパンは一つの箱、プラスチックのキッチンウエアはまとめて同じ箱という具合に仕分けをしながら

運び出します。

 

キャビネットの下に1950年に贈られたアーサープライス製シルバーカトラリーセットが箱に入ったまま発見されると

大きな成果となるのです。

どの町のハウスクリアランス業者にもそれぞれの分野でアンティークディーラーがつながっています。家具専門、

台所用品専門、ガーデングッズ専門などのディーラーは運び出されたアンティークをすぐに仕入れに行くのです。

 

値段が付かないものはチャリティーとして寄付され、ディーラーが買わないものは通常毎月開催される古物オークション

で販売されます。なんとジョージとステラの家から運び出されたキッチン用品が箱のままオークションで売却される

のです。このオークションは基本的に処分のために開催されるもので高く売るためではありません。

 

よってしばしば10ポンドでスタートしたオークションが最初から値段が付かず、だんだん値段が下がっていくことが

あります。私もひと箱10ポンドの雑貨が10ポンドから値段が下がり、最後は1ポンドであるディーラーが嫌々ながら

買ったのを見たことがあります。

 

英国でふんだんにアンティークが出回るのは、英国人が古い家に住み、古いものを大事に使い、またその英国人が

毎年亡くなるからなのです。

社長のはなし

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事件は1858年夏に起こりました。

 

当時のロンドン人口はすでに400万人を超えています。 

 

水栓トイレが急激に増加していましたが

汚水は浄化されずにそのまま道路の排水溝からテムズ川へ流されていました。

 

屠畜場を含む産業排水などが流されたテムズ川は川そのものが下水道になっていました。

 

その夏は気温36度と異常に暑い日が続き、全然雨が降りませんでした。

 

テムズ川へ流された汚物や生活排水は水量不足で川下に流れず、

満潮時にはなんと動物の死骸などと一緒に川上に戻ってきたのでした。

 

 

 

 

と同時に大変な悪臭が街を襲い始めます。

 

その“大悪臭”(The Great Stink)のためイギリス議会は

議員がハンカチで鼻を押さえて議場をオックスフォードへ移すことを真剣に議論しました。

 

同時にロンドン市の行政を動かし本格的な下水道建設が決まったのです。

あまりの臭いにこの建設に反対する人はいませんでした。

 

 

 

1863年に全長1700kmの下水道が完成しました。

 

現在でも使用されているレンガ造りの下水道ですが、

今度はこの下水道を住処(すみか)とする大量のネズミが発生したのです。

そしてそのネズミは市民の台所を襲い始めました。

 

 

当時、市民は主食であるパンを木箱に入れていました。

 

が頭の良いネズミは木箱の蓋を開けてパンを食べていました。

 

なんとかパンをネズミから守ろうとしてできたのが“ほうろう製のブレッドビン”です。

 

これはほうろう引きされた鉄製のため、ふたが重く、保管されたパンをネズミから守ったのでした。